- LIVEというものに特別な感慨がある。ピアニストのグレン・グールド※1はLIVE演奏を三一歳できっぱり止め、録音に専念することで伝説的ピアニストになった。
マルタ・アルゲリッチ※2はLIVEの直前に控室に引きこもり、(リハーサルではあんなにご機嫌だったというのに!)さんざん周囲を焦らせた挙句、指揮者の小澤征爾の根気強い励ましに応じようやく舞台に上がり、そんなことはまるでなかったかのように活き活きとしたすばらしい演奏を披露した。なぜか? ピアニスト兼文筆家でもある青柳いづみこの推察によると、このときはたぶん、リハーサルで気持ちよく弾けすぎてしまったのがよくなかったのだ。※3そして青柳はそうしたアルゲリッチの天才と繊細が共存するような性質を尾崎豊と比較し、尾崎の元マネージャーであった鬼頭明嗣の言葉を引いてこう書いている。
「アーティストというものは、いったんステージに立てば余裕を持っている。もちろんその寸前までは誰もが不安でしかたないのだが、ステージの上ではそれは一切出さず、リハーサルの成果をきちんと見せてくれる。だからこそ彼らはスーパースターなのだが、逆に言えば、『この次はこういう感じになるな』と動きの予測がついてしまうこともある」
ところが、尾崎のステージは動きに予測がつかない。 - ※
- つねに明日がきょうを乗り越えなければいけないという生の根源的なくるしみを、ライヴ演奏は可視化する。自分は「ショパンゾンビ・コンテスタント」※4という小説のなかでそう書いた。言い換えれば、LIVEで常に最高のパフォーマンスを見せ続けるのは厳密には不可能で、いつも最高のLIVEをしたあとで、しかし次のLIVEではまたその「最高」を越えつづけなければならない。青柳いづみこはそれがアルゲリッチや尾崎豊を悩ませた根源的なくるしみだと書いている。しかし、クリープハイプは「いま/現在」のバンドである。「常に今」のバンドだから、〝LIVE〟を観に行くべき。そのことについてこれから書きたい。
総合格闘家の堀口恭司※5は、二〇一八年の大晦日RIZINにて、誰もが「堀口は敗ける」とおもったまさにその瞬間に、現ベラトール※6世界バンタム級王者ダリオン・コールドウェルに逆転勝ちした。自分も思った。「堀口は敗ける」。
しかし堀口には自信があったという。そこまでの劣勢すらも想定内で、コールドウェルの弱点、すなわち「ふだんケージでの闘いを主戦場としているが故のリングの経験不足」と「首が空いてしまう傾向」を見抜いていた。その堀口が勝利後のマイクパフォーマンスで言った。「皆さん『会場』に来てください」。格闘技は〝LIVE〟でこそ面白いと、伝えようとしているのだ。
しかし自分は経験的に、それがそうと限らないことを知っている。〝LIVE〟のほうが面白いとは限らない。会場で格闘技を観ていても、眠くなってしまうことさえある。だけど、たしかに堀口の試合は生で見たいという気持ちにさせてくれる。2018年の大晦日、テレビの前だってあんなに堀口は輝いていて、それが「直につたわる」みたいに大晦日の自分は手を叩いてなぜか号泣していた。この情緒の爆発を上回るような体験、すなわち〝LIVE〟を経験しまったらどんな感情になってしまうんだ?
それが今だ。堀口恭二勝利の四ヶ月後、自分はクリープハイプLIVEアルバムツアー追加公演「こんな日が来るなら、もう幸せと言い切れるよ」の会場に立っていた。
ようするにクリープハイプのLIVEを観に行くということはそういうことだった。
どういうことだ? それがしんじつ〝LIVE〟であるということだ。ボーカル尾崎世界観の存在感と、音楽のたしかさ、歌詞のおもしろさ、そして観客とともに「今を生きる」ということ。冒頭に書いたように、LIVEというのは矛盾した概念で、それはこの<ライヴレポ>も同様なのだが、どんどん「今を生きる」ということで「いま/現在」から引き剝がされていく。「今」はすぐに「過ぎ去った今」になって過去になってゆく。そうした人生のなかで、楽しさだけを追い求めていくのは難しいし、ときどき疲れてしまう。この時間が楽しさだけに染まるからこそ、楽しさじゃない「生活」がどんどん遅くなっていく。「楽しい」は速い。でもそれは「いま/現在」じゃない。尾崎世界観はMCでたびたびそのことを強調している。「この〝LIVE〟が終わればみんなはみんなに帰っていく。でも今は今だ」ということを言っている。これはものすごく勇敢なことだ。
ほんとうは〝LIVE〟というのはお客さんを陶酔させてしまいさえすればそれでいい。みんな「生活」に帰りたくない。でも事実は帰る。いま目の前で輝いているクリープハイプでさえ夢なんかじゃなく生活に帰る。でも、それって「今〝LIVE〟」「今〝生活〟」を二重に生きているということだ。「今」がたくさんになっていく! それが常に「いま/現在」という意味だ。
そのことを引きうけているからこそ自分はクリープハイプのLIVEは他のどんな体験にも似ていない、他の体験で互換不可能と確信できる。だから観る。そして自分がその場で「今を生きる!」と決意すると同時に過去の色んなことを思い出してしまう。それはそこでしか思い出せない、いつでも思いだせるわけじゃない、クリープハイプだけが思い出させてくれた特別な記憶だ。
声がきこえる。 - 今日はアタリ
今日はハズレ
そんな毎日でも
明日も進んでいかなきゃ
いけないから
大好きになる
大好きになる
今を大好きになる
催眠術でもいいからかけてよ
明日も進んでいかなきゃ
いけないから - わかってるよ わかってるよ
わかってるよ わかってるよ
そんなの言われなくても※7 - 言われなくてもわかってる。だからこそ、自分は尾崎世界観に言われたい。だからLIVEに足を運んでいる。
- ※
- 今回のLIVEツアーはアルバム「泣きたくなるほど嬉しい日々に」の追加公演という位置づけである。尾崎世界観は「このアルバムでもっと長くツアーをやりたくて、無理いって」この長い道のりを歩んできたとある日のLIVEで言っていた。
完成前からすでに決まっていたライブハウスツアーは過去最高に前のめりにやれていて、楽しい、とかバカみたいな感想しか出てこない程に良いです。(あぁ、バカっぽい文章)だからなおさら、今のライブハウスツアーでセットリストに入れられなかったアルバム曲を、万全な、曲に適した状態で、ホールで表現したいと思いました。※8
その言葉を約束みたいにおもって集ったファンからはある日「セトリ※9最高ー!」という声が聞こえた、ある信頼に足る太客※10いわく「今回のセトリは太客にはたまらない」といわれるセットリスト。
セットリストとはアーティストとファンのあいだの、信頼と約束の関係にある。お客さんはアーティストが演奏される時間ごとに更新されていくセットリストを「生」で知って感じていく。LIVEが盛り上がるも盛り上がらないもセットリストにかかっている。その過程で「次裏切られるんじゃないか?」と思ったり、「でも(良い意味で)裏切られたい」と思ったり「想定していなかったけどこれも最高」と思ったりする。そのひとりひとりの思いの運動は、ステージ上に立つアーティストたちとの心の交錯をうむ。こうしたファンとアーティストが互いの生活のなかで培ってきたものの、つかず離れずの一体感がまたLIVEにしかありえない感情を昂ぶらせて、アーティストと同じ時間を、互いの心の魂みたいな柔らかい部分を響かせあって、会場がつくられていく。アーティストとお客さんとで同時につくられていく。LIVEとはただアーティストが音楽を演奏するというだけではない。会場が音楽を殺しもし、支えもする、そんな一回限りのスリルがあり、アーティストのことを客は「わかっているけどわかっていない」。ようするに次になにをするかわからないような振る舞いこそがスター性でもあり、それに翻弄されながら追いかけていくその必死さが、音楽をもっとかがやかしく走らせていく。実際に尾崎世界観はLIVEの終演時に何を語るのか、まったく予想がつかないスリルを常にはらんでいる。
背中に散逸するしろいひかりを背負いながら、尾崎世界観は歌っていた。そうして
「きょうのLIVEを見て、ずっと許せなかった誰かを許せるような、そんな気持ちになってくれたらうれしい」
とある日のLIVE終わりで尾崎世界観は言った。今まさに自分は考えつづける。あらゆる表現が、芸術が、学問があらゆる言語化や定義から逃れつづけて志すのは広義の許しなのだとおもう。この世のどこかでまるで<だれにも許されていない>みたいに窮屈な思いを抱えてそれでも毎日を、ときにサボりときに懸命に生きつづけている、だれかの罪、<許し難さ>をも、許容したい。そうした許しの運動を、あたらしい音楽をつくりつづけながらLIVEを重ね、LIVEとLIVEのあいだを懸命に生きる、クリープハイプというスターの輝きつづける業がそこにあって、なにかをひきうけてくれている気がした。まるでその会場に居なかっただれかの生をも、丸ごと許容しているみたいに。
- ※1 カナダのピアニスト(1932-1982)。J.S.バッハ「ゴルトベルグ変奏曲」の録音でいま現在もその名を世界に轟かすピアニスト。すごくレジェンド。
- ※2 アルゼンチンのピアニスト(1941-)Wikipediaの記述によると「現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けているピアニストの一人」。1965年ショパン国際ピアノコンクール優勝。
- ※3 このエピソードの顛末は、青柳いづみこ『ピアニストが見たピアニスト』(白水社、2005年)による。
- ※4 「新潮」二〇一九年四月号掲載。
- ※5 空手のスタイルを母体に現在総合格闘技界で活躍。UFC世界フライ級タイトルマッチを経験したのち、現RIZIN世界バンタム級王者。現在最も「目が離せない」格闘家。
- ※6 UFC、ONE Championshiop、RIZINと並ぶ規模と実力を誇るMMAの格闘技団体。
- ※7 「陽」より引用(アルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』収録)。
- ※8 クリープハイプアルバムツアー追加公演「こんな日が来るなら、もう幸せと言い切れるよ」公式サイトより引用。
- ※9 アーティストがLIVEを行う際に演奏する順番とその明記のこと。あるいはアーティストがLIVEそのものをどう捉えてプランニングしているかということを推し量ることのできる「アーティストの意志」のこもったもの。
- ※10 主に夜職のお店などで多額の金を支払う太っ腹な客のこと。転じてクリープハイプ会員限定サイトの会員のこと。
文・町屋良平
Photo by 冨田味我
- こんな日が来るなら、もう幸せと言い切れるよ
セットリスト -
1.ex ダーリン
2.泣き笑い
3.イト
4.一生のお願い
5.炭、酸々
6.禁煙
7.おばけでいいからはやくきて
8.かえるの唄
9.さっきの話
10.グルグル
11.目覚まし時計
12.お引っ越し13.栞
14.オレンジ
15.百八円の恋
16.私を束ねて
17.社会の窓と同じ構成
18.社会の窓
19.HE IS MINE
20.燃えるごみの日
21.陽
22.イノチミジカシコイセヨオトメ
23.おやすみ泣き声、さよなら歌姫